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お知らせ

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2017.09.13

未分類(刺繍職人日記)

【技術以外の努力】

秋の気配が濃厚になってきたかと思えば、今日はまた昼日中は夏の暑さでしたね。
ここ数年、秋という季節がどんどん無くなって来ている様な気が致しませんか。

温暖化などによる気温の変化などは当然あるのでしょうけれど、
個人の感覚として、自然の風景の移り変わりや、
肌身に感じ取る光や温度や風の感触などを微細に感じ取る能力が失われ、
或いは退化しつつあるのではないかと、最近は考えるようになりました。



写真をご覧ください。
先日から取り掛かっている二羽鳳凰の翼部分ですが、何色の糸が使われているでしょうか。

絹糸はツヤがあり、刺す向きによって輝き方が違ってくるため、
例えばこれがたった一色の白だけで刺された翼だったとしても、明るい白、暗い白と
いったように、白の中にあまたの白があることを、私達の目は
きちんと感じとってくれます。
ああ何色ものたくさんの白が使われているんだなと、理解したり意識しなくても
目は物凄く曖昧な部分まで見分けています。

しかし、目がそうでも、感じとったことを整理し、頭の中で理解しなければ、
そこにどんなにたくさんの色が含まれていても、見ているのは白一色になってしまう。
その中に含まれている様々な表情は、無いのと同じことになってしまうのですよね。

例えば、一枚の絵をただ観るだけで発見できることが3あるとすれば、
その絵を描いた人間についてや、描かれた時代背景、ベースや着色画材などの材料を
ひと通りさらってから観ると、一枚の絵に10や20では足りないくらいの発見をし、
描き込まれた情報量の多さに驚嘆することもできるでしょう。
知ることにより、思いを馳せ、考え、自分なりの理解を深めることができるようになります。

愛らしいウサギのキャラクター、ミッフィをご存知ない方は少ないかと思いますが
少しあの色について、思い浮かべてみてください。

ミッフィの世界には、主線の黒と背景の白以外には六色しかありません。
限られた六色は作家のこだわりの結実で、彼の名前からブルーナカラーと呼ばれています。

昨今の殆どの印刷物はCMYKと通称される、シアン、マゼンタ、イエロー、クロの
四色から構成され、よくよーく見ると点描のようなテンテンで色彩を作り上げていますが
ことブルーナ氏のミッフィ絵本に使われているブルーナカラーはCMYKでは再現が難しく
絵本を刷るときには、専用のブルーナカラーのインクを調合するところからはじめるそうです。

こんなことは、知らなかったところで何の損をすることもない些細なことですが、
知っていたら、これはそんなふうに作られた特別なものなんだと感じられますよね。
この感覚の有無が、ひいては充実感や幸福度に繋がるのではないかと思うのです 。



話を戻しますが、この二羽鳳凰の白について。
うっすら金がかっている部分があるのが、おわかりいただけるかと思います。
どうやらこの鳳凰には、少なくとも三色くらいは色合いの異なる白が使われているようです。

現代社会はとかく白々と明るい。
この刺繍が作られた104年前は、どんな灯りを使っていたのでしょうか。

おそらくはフィラメント(白熱)電球だったでしょう。行燈もまだあったかもしれません。
ほんのりした黄みや温かみある橙を含む灯りを受けた数色の白は、どれほど繊細に光を蓄え、
どんな色や表情をみせてくれていたのか。
その美しさを、今となっては知る術はありません。

一世紀経つ間に、蛍光灯やLEDが台頭し、今私達は本当の夜の深さも多分知りません。
見上げる夜空に本当は無数の星が何千何万と散らばっていることを、実感できません。
知らないことも知らないまま、忘れ去ってしまったものが、沢山有るのではと思います。

100年150年昔のどなたかが、これが美しいと思って刺したものが、
今この時、目の前にあることがどんなに稀有なことだろうかと考えると、
大事に保管されてきたことを有り難く思いますし、
決して忘れてはいけないと思うと共に、受け継いで伝え遺してゆかねばならないとも思います。

日本人の感性は四季があるために繊細だといわれることもありますが、
それも100年150年前に生きた人々とは比較にもならないだろうと思われます。
この刺繍に使われているような白を、わたくしたちはただ白と呼びますが、
大昔にはこれを細分化し、白磁、白練、胡粉色や卯の花色、月白などと呼び分けていたわけです。

修復のための技術を上げるための努力はもちろんのこと、
無知の知を自覚し、知らないことはまだまだ膨大にあるだろうと考え、探し、発見を広め、
いわゆる価値観というものを大きく、深くしてゆく努力をしてゆかねばなあ、と。



この見事な二羽鳳凰に肉薄しながら、考えてみているのでした。
どう修復するか、どの程度修復するか、しないか、現物の良さを最大限に残しつつ
修復という手を入れたことで今後20年30年と長い使用に耐え、次の世代へ受け継いでゆけるよう、
美しさを保ちつつ耐久度を上げるには、どこにどれだけの処置を、今施しておくべきか、
わたくしたちは常々、ひとつひとつの刺繍の細かな状態をよく観察するところから始め、
一枚ずつにこの上ない最適解を求め続けながら、修復にあたっています。

努力という言葉を調べてみると、目標の実現のため、心身を労してつとめること、とあります。
さらには、ほねをおること、とも。
気持ちだけでも技術だけでもだめで、どちらかに偏ってしまっては
努力ではない何かに意味が変質し、知らず知らずどこかが虚ろになって行くのかもしれません。
そうなってしまうことは、とても怖い。

和光舎になら安心して任せられると言って頂けることが、私達の誇りです。
お褒めの言葉だけでなく、お叱りやご不満などの貴重な意見を頂戴することによって、
私達の技術は更に上達してゆくものと考えています。

今後ともご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

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